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横須賀トモダチジャズとは 2018-07-29T15:54:26+00:00

横須賀トモダチジャズ とは

軍港のある街、外国人も多く海に囲まれた国際都市・ヨコスカの特徴を活かした街ジャズイベントです。
音楽は国境を超えた共通語。ジャズ演奏を一緒に聴きながら、参加者みんながフレンドリーになれる雰囲気づくり。
それが「トモダチジャズ」のコンセプトです。

横須賀ジャズの記憶をたどり、街の魅力(City Pride)を再発見する音楽交流イベントでもあります。
戦後ジャズの聖地だった「EMクラブ」(米海軍下士官兵集会所)のレジェンドを振り返りながら、往時の横須賀ジャスの盛り上がりを再現します。
音楽イベントを通して、街に集まる人たちのコミュニケーションや国際交流も活発に。
周辺観光や街歩きも楽しめる、街ぐるみのジャズフェスティバルです。

Yokosuka  Jazz  Story

横須賀と戦後ジャズ、そしてEMクラブ

幕末にペリーの黒船艦隊が浦賀に来航したことにより、開国された日本。 戦後の占領期、「進駐軍」と呼ばれた米国軍隊が上陸したことで大きな変化が訪れ、「第2の開国」ともいわれます。

戦時中に禁止されていた欧米の軽音楽やジャズは、戦後は一転して流行の最先端になりました。

昭和20年9月、田浦にあった小さな海軍兵員宿舎が米兵向けクラブ第1号となり、ジャズの演奏が行われたのが戦後ジャズの出発点と伝わります。

横須賀ではジャズ演奏をする店が100軒を超えました。 終戦により復員してきた旧陸海軍の軍楽隊員たちは、職もなく食料もない時代を生きて抜いくために、いちはやくジャズ演奏を始める人が多かったといいます。

そして、沢山あったジャズクラブの頂点といっていいのが、「EMクラブ(Enlisted Mens Club)」(米海軍下士官兵集会所)でした。

EMクラブは東京や横浜にもありましたが、横須賀のEMクラブの施設は東洋一の規模を誇り、米本土から慰問のために大勢のミューシャンが来日。

ルイ・アーム・ストロング、グレン・ミラー楽団、フランク・シナトラなど有名ミュージシャンがEMクラブで演奏。 日本の芸能人も大勢訪れ、ペギー葉山、弘田美枝子、伊東ゆかりさんなども思い出を語っています。

「EMクラブのアーチをくぐると日本じゃない匂いがした」と。ジョージ川口、渡辺貞夫、秋吉敏子さんなど、EMクラブを卒業した有名ミュージシャンは枚挙に暇がないくらいです。

幕末に横須賀製鉄所(横須賀造船所)の建設が始まり、旧海軍・横須賀鎮治府も置かれたことで、「軍港の街」として発展した横須賀。

戦後は進駐軍の拠点となったことで、アメリカ文化が一気に流れ込んできたのです。そのため、アメリカから横須賀にジャズが直接入ってきました。

横須賀は戦後ジャズ隆盛の地となり、文化の発信地にもなっていたのです。

★開催レポート★横須賀トモダチジャス2016

ラジオパーソナリティー 柴田浩一

かつて軍港だったニューオリンズのように、河口の町ではないがヨコスカはジャズが合う。横須賀トモダチジャズが始まった。以前からジャズ・ドリームやジャズ・クルージングなど、ジャズ・イベントがないわけではなかったが、これは地元の人間が手作りで始めたものだ。2016年9月3・4日、ヨコスカベイサイドポケット、ヤンガーザンイエスタデイ(YTY)の二つのホール、どぶ板通りのバー、街頭など14会場70ステージで熱演が繰り広げられた。出演者は、ペギー葉山/尾田悟(代演峰厚介)/守屋純子トリオ、中村誠一カルテット、仲田美穂コラソン・ラティーノ、今田あきらEverglades、マリア・エヴァ/北島直樹トリオ、田中信正トリオ、塚原小太郎トリオ、堀秀彰クインテットなどベテランから中堅、若手までバランスのとれた陣容だった。
特に福井ともみ&ヤング・レディースは新進気鋭の岩嵜香織、駒野逸美、加納なみ、小川恵理紗、遠藤定を福井と藤井学がサポートし、緊張感と面白み、楽しさが同居したステージだった。中村誠一Yokosuka Friendsはドラムが2台、高橋徹に横須賀出身の力武誠が競演、超満員の観客を大いにわかせた。古川奈津子のラグタイム・ピアノがドブ板通りのバーから流れでる。田中信正のブルース・ピアノもよそのバーから聞こえてくる。向こうから行進してくるのは有馬靖彦デキシー・ジャイヴだ。“軍港めぐり”はマニアックではなくなったが、ヨコスカは濃いめがウリだ。焼酎やバーボンもしかり、ジャンバラヤやガンボだって食べられるし、海軍カレーやハンバーガーもある。品川からわずか44分、海とジャズが楽しめる別世界だ。ジャズ・フェスティヴァルは発表会でも演奏会でもない、演奏者とお客が共に喜んで楽しむ。そんなことを実感できた2日間だった。